武蔵ケ丘の歴史と由来

宮本武蔵の浪漫が、
静かに息づく武蔵ケ丘エリア。

 「武蔵ケ丘」は、宮本武蔵の墓「武蔵塚」が名称の由来。二刀流の剣豪として知られる宮本武蔵。晩年を熊本で過ごし、「死後も藩主を見守りたい」という遺言から、藩主の参勤交代の行列を見送る大津街道沿いに葬られたといわれています。

その地と伝えられる武蔵塚公園があることから、このエリア一帯は「武蔵ケ丘」と名付けられたとされています。

 宮本武蔵が人生の集大成を過ごした熊本の地。肥後藩の初代藩主細川忠利からの招きで57歳の時に熊本入りし、千葉城の一角にあった屋敷で62歳の生涯を閉じた宮本武蔵。

 金峰山近くにある霊巌洞(れいがんどう)という洞窟で「五輪書」を完成させ、剣豪人生の集大成ともいえる「二天一流兵法」の真髄を書き残しました。

武蔵の墓がある場所は公園として整備され、二刀を携えて立つ武蔵のブロンズ像や「新免(武蔵の別姓)武蔵居士石塔」と書かれた墓石があります。園内には日本庭園や茶室などが設けられ、初夏にはツツジが咲き誇ります。

武蔵塚公園

熊本の高度成長期を支えた
武蔵ケ丘団地の歴史。

 1960年代の高度成長期、日本の都市部では中心市街地に人口が集中し、住宅の需要が急激に増加しました。熊本市も同様で、住宅や宅地の供給が重要な課題となる中、1970年代に開発された「武蔵ケ丘団地」は、県内で開発された住宅団地の中では最も古く、20haを超える大型団地です。

 熊本市役所のある熊本市中心部から北東約8.1kmに位置し、1973年には第1次入居が開始。団地開発が進むにともない、熊本電鉄バス武蔵ケ丘団地線や九州産交バス武蔵ケ丘団地線が運航を開始。1981年には武蔵塚駅も開業しました。また、複数のスーパーマーケットをはじめ、幼稚園、保育園、武蔵小学校、武蔵中学校なども次々と開校し、生活利便が充実。

熊本市中心部近郊のニュータウンとして、都市部で働く人々の暮らしを支えてきました。

※掲載の航空写真は平成29年1月に撮影したものです。 ※掲載の環境写真は平成29年3月に撮影したものです。 ※徒歩分数は1分80mとして算出し、端数は切り上げています。 ※自動車での所要時間及び距離は現地からの概算距離、所要時間を表したもので実測となります。道路状況、交通状況により異なります。